政治学や経済学をかじると

日本の近代文学や欧米の小説や詩も読み始めると、もっと生活に身近に触れて、現代人の感覚に適った文学の方が面白く感じられてきた。

しかも、その後、私なりに人生の不条理や、身近な人の死というものに触れていくと、現世における規範しか説かない儒教では、人生の救いは得られないと思うようになった。
また、多少、政治学や経済学をかじると、現代社会の宿命として、江戸時代という安定した低成長時代の倫理では社会を構成できないぐらいは当然わかってくる。
すこし歴史をかじると、江戸時代の儒教的な重農主義や閉鎖主義が、いかに田沼意次や蘭学者などの新時代への適応や重商主義の足を引っ張りつぶしてしまって、時代を逆行させてしまったかもよくわかってくる。
何よりも、自分の実存と、儒教的な規範が、ぜんぜんミスマッチしてきた。

ただ、それだけわかっても、儒教はその後も長く、私にとって三つの点で大きな葛藤の原因になったし、無意識には大きな桎梏になってきたと思う。

一つめは、儒教は、国家社会への責任感を非常に鼓舞する教えだったため、べつに武士階級でもエリートでもない私にとって、昔の士族のように国家社会へ責任感を持つ必要はぜんぜんなかったのだけれど、高校三年ぐらいになると、俄然政治や社会に興味を持つようになった。